3日坊主の日記帳〜地獄の社畜編〜

日々の雑感。140字では伝えきれないことを書こうかと。※ブログ名改題しました。

ウィンナーコーヒー

もうだいぶ昔のこと。

小学校4、5年生くらいだろうか。

学校の宿題で星の観察をしたことがある。

幸いにも(?)おいらは千葉の田舎育ち。
東京のように星の光を妨げるような強い光はなく、星の観察にはもってこいの土地柄だった。

まだ寒い時期だったと思う。

夜暗い中親と一緒に公園へ行き、学校で配られたプラスチック製の安っぽい観測機を手にして、
時間ごとに星の位置を記録していく。

生まれてこの方、天文学にはほとんど興味は示さないのだけど(せっかくプラネタリウムに行ってもぐっすり熟睡してしまうタイプです……)、
夜、親と一緒とはいえ、真っ暗な公園を歩いて星を眺めるという非日常的な体験にワクワクしたのを覚えている。

冬の夜空は美しい。
冷え込んだ空気が透明な空気をよりクリアにして、星がよく見える。

観測という行為だけ切り取れば冬の夜は最適かもしれない。
しかし、何時間も外に居続けるという点についていえば、これほど不適切な時期もないと思う。

特に天体観測なんて、常に計器を見ていなければならないものでもない。
親が、それともおいらが飽きてしまったのか、寒さに耐えかねてしまったのか。
次の観測のタイミングまでどこかで時間を潰そう、という話になった。

親がおいらを連れて行ったのは、公園からすぐの喫茶店だった。
実はこの公園、家からすぐの場所にあった。
わざわざ喫茶店に行かずともよかったはずなのだが、普段は即物的な生き方をしている親も、
天体観測というロマンティックな行為のせいでコーヒーの一杯でも飲み、感傷に浸りたくなったのだろうか……。

典型的なハナタレ小僧だったおいらにとっても、喫茶店という文明に触れたのはこの時が初めてだったと思う。

この時のことはよく覚えている。
ファミレスとは違う、見慣れないメニューをじーっと眺めていると、ふと奇妙なメニューがあることに気づいた。

「ウィンナーコーヒー」

頭の中で大きなはてなマークがぷっかりと浮かんだ。

コーヒーなのにウィンナー?
コーヒーの中にソーセージが入っているの??

どんなコーヒーなのか全く想像がつかない。
一種の怖いもの見たさもあったのだろう。おいらはこのウィンナーコーヒーを注文することにした。

運ばれてきた「ソレ」は、想像の斜め上をいく未知の飲み物だった。

コーヒーを注文したはずなのだが、目の前のカップの中でモコモコと埋まっているのはホイップクリームの山。

さらにトッピングで、ごく小粒の真珠のような、チョコレート菓子がちりばめられている。

これは、飲み物なの?

てっきりソーセージのようなウィンナーが出てくると思い込んでいたおいらは、目を丸くしてカップに口をつけた。

あついっ!

ホイップクリームの下には熱々のホットコーヒーが隠れていて、舌をやけどしてしまった。

なんとも奇妙な飲み物である。
へんなものを注文してしまった、と後悔する一方、苦いコーヒーの味に対してホイップクリームの甘さが妙に頭の中にこびりついた。

月日は流れ、現在。

今、池袋の喫茶店でウィンナーコーヒーを飲みながら、この記事を書いている。
病院の診察が思ったより早く終わり、出社まで時間が大幅にあいてしまったのだ。

あれだけ強烈な印象を植え付けたウィンナーコーヒーだが、
その後飲む機会はさほど多くなかった。

ホイップクリームのカロリーと、ちょっとお高めの金額を気にしてのことである。
親からいろんなものを受け継いだが、その即物的な性格も漏れずに引き取ってしまったらしい。

さらには、ちょっとしたかっこつけもあるのだろう。

もともとおいらはコーヒーが苦手だった。
クリームと砂糖を入れても、お腹が痛くなり眠れなくなる程度に。

しかし、会社に入り、事務所や出先でブラックコーヒーを飲む機会が増えるにつれて、
いつしかコーヒーが飲めるようになり、
それどころかあれだけ敬遠していたブラックコーヒーを好んで飲むようになった。

まるで、ブラックコーヒーを日常的に飲むことが、オトナであることの証だと思い込んでいたようだった。

しかし、最近その考えも変わりつつある。

きっかけは、健康上の理由だ。
カフェインの摂りすぎが気になっていて、以前よりコーヒーをのむ頻度を抑えるようになった。
また、コーヒー自体、ブラックコーヒーだけではなくカフェ・オ・レのように牛乳の比率が多いものを飲むことが多くなったし、
普通のコーヒーでも極力ミルクポーションや砂糖を入れて胃の負担を軽減しようとしている。

そうするとだんだんわかってきた。

コーヒーの魅力はブラックコーヒーだけではない。
それ以外のコーヒーもなかなか悪くはない、と。

人間、特に若いうちはやたらと突っ張ったものを好み、
「これでなきゃいけない」みたいなある種の意地を張ってしまうものだと思う。

おいらもそういう時期があった。

「これでなければいけない」「こうでなければいけない」

そんな思いに駆られ、自分を追い詰め、いつのまにか追い込まれ、心身ともに疲れ果てる。

しかし、そんな時にふと視線を外してみる、別の見方をしてみる、別のことしてみる。

すると「こういう世界があったのか」「こういうやり方があったのか」と、
自分の余裕のなさに気づき、ひと呼吸おくことができるようになる。

今のおいらには、そういう瞬間が必要なのだと思う。

ただでさえ、仕事のことに、家庭のことに、やらなきゃいけないことに、ひきづられ、追い回され、尻を叩かれる。

そこで意地をはって「こうしなきゃ」とやってもボキッと自分自身が折れるだけ。

あらゆる選択肢を探りながらじっくり腰を落ち着けて味わう。

そうすることで見えてくる可能性があるような気がするのだ。

東京は例年にない厳しい冷え込みに襲われている。

窓の外に目を移せば、ちらちらと雪が舞っている。

あの日。あの時みた夜空。

大人になってしまった今、天体観測はしなくなってしまった。
(しかしブルベで、真夜中の山の中で強制的に星空を見せられる羽目には何度も遭遇しているが……)

子供の頃のように純粋な気持ちで星空を見ることはないかもしれない。

しかし、初めてウィンナーコーヒーを見て味わった時の驚きや美味しさは、まだ覚えていた。

久しぶりに飲んだウィンナーコーヒーがそれを教えてくれた。

昔の思い出は大切にしまいつつ、これからも色んなコーヒーを飲み、味わっていきたいと思う。