3日坊主の日記帳〜地獄の社畜編〜

日々の雑感。140字では伝えきれないことを書こうかと。※ブログ名改題しました。

もし自分が『信長の野望』に登場したら

おいらは、シミュレーションゲームの類が好きです。

 

よくプレイしたのはKOEIの『三國志8』『三國志9』『信長の野望 革新』『太閤立志伝ⅴ』の3タイトル。

特に『信長の野望 革新』は、今でもたまに引っ張り出してプレイするほどです。

 

これらのゲームが面白いのは、

実在した歴史人物を動かしてストーリーを作るところ。

 

歴史どおりの結末を目指すのもいいのですが、

実際に起こり得なかった「if」を再現するのがとてもおもしろい。

 

例えば、弱小大名だった真田家で天下統一させたりとか、

登場した時期が遅すぎて天下取りができなかった伊達政宗率いる伊達家で天下統一するとか。

 

さらには、「武将作成機能」というものがあり、

自由に武将を追加・編集できるのもこのシリーズの魅力の一つ。

 

おそらく元々は「この武将が入ってない!」とか「ウチの地元の武将がいない!」といった

クレームに対応する機能だったと思います。

(実際、この武将がいないとか、ウチの地元の武将が弱すぎる、もっと能力を高くしてくれという苦情が来たこともあるとか)

 

しかし、実在の武将ではなく架空の武将や別の時代の武将を入れて遊ぶのもありです。

おいらは、封神演義の「太公望」や水戸黄門、果ては西部警察の「大門部長刑事」とか作って遊んでました。

 

まさに歴史上の「if」ここに極まれり、で、SF戦国時代でも幻想戦国時代でもなんでもありにできてしまいます。

 

そして、究極的には「自分」すらも歴史上の「if」として、一武将としてゲーム内に登場することができます。

 

これがなかなか楽しく、そしてなかなか考えさせられます。

 

まず、新規武将を登録するためには、能力や技能といったステータスを設定する必要があります。

ここに、そのプレイヤーの個性というか欲望が現れると言っても過言ではありません。

 

100点満点中、「全能力 オール100、全技能習得」(システム上の制約でできないゲームもあり)

という「俺、無双」プレイしたい人もいれば、なるべく現状の自分の能力に合わせてどういう活躍ができるか試してみたい、

という人もいます。

おいらは後者の方ですね。

 

とはいえ、大体の人はゲーム中で活躍できないとつまらないので、多少能力を「盛る」と思います。

例えばおいらの場合、「統率するのは苦手だけどまー68、武力は得意じゃないけど43、知力は高めにしたいから82、政治は、交渉苦手だけど68くらいにしとく?」

といった感じです。

(ちなみに、能力値は60が平均的と考えてもらって差し支えありません)

 

これくらいの武将ですと、知力の高さから参謀役として活躍できますし、

政治も高めなので内政や外交でもそれなりの成果を出すことができます。

 

しかし、最近思うのです。

「自分の本当の能力って、思っているほど高くないなー」と。

 

統率は、元々色々破綻はしてましたが、抱えていたプロジェクトを上手く仕切れなかったので34くらい?

武力は…元々こんなもんでしょう。現状維持の43。

知力は、そこまで低くないと思いますが相手にいいように利用されたり解決策を出すことができなかったので63。

政治は、説得とか交渉が非常に苦手なことを実感した1年でした。23。

 

まとめると、

統率 34

武力 43

知力 63

政治 23

 

ゲームに慣れた人なら、「こんな武将が登用の志願に来ても容赦なく拒否する」程度の能力だと思います。

 

 

今、仕事のことで悩み病んでいるのでだいぶ過小評価にはなっていると思いますが、

案外こんなものじゃないかと思っています。

 

いっそのこと、自分の能力・ステータスが自動的にわかるシステムがあればいいのに。

そう思うこともあります。

 

しかし、それで本当に能力が低かったら…と考えると空恐ろしいものがあります。

それで、自分の生き方が決まってしまう。未来が見えてしまう。

とても恐ろしいことだと思いますが、どうでしょうか。

 

人は、自分のことを知りたがります。

自分は何ができるのか、何に向いているのか、どれくらいの能力があるのか、

どういう仕事が向いているのか。

 

しかしこれらは、実は「こういう結果になるだろう」もしくは「こういう結果であってほしい」と思っているからこそ知りたがるものであって、

「自分が思っていたことよりも悪い、酷い」ことになっている可能性はあまり考えないと思います。

 

もしそうであることを知ってしまったら…おいらの場合立ち直れるのでしょうか。

それすらもわかりません。

 

結局のところ、自分のことなんて知らない方が幸せかもしれません。

むしろ、「知らない方がかえっていろんなことができる」のかもしれません。

 

若い頃は自分探しと称して色々旅に出ました。

そのステージから卒業したと思い込んでいましたが、

心の病気を患い、都会から離れたところに来てこんな文章を書いている自分は、

自分の人生の行き先が見えずうろうろ、ふわふわしたような心持ちでいます。

 

しかし、それでいいのではないか。

そんな気がしています。

 

自分のことなんて結局わからない。

わからないのであれば彷徨うだけ彷徨って、行き着いた先で全力を尽くせばいい。

 

だから、今はできることをやる。

十分に休息をとって立て直す。

趣味や好きなことに打ち込んで、物事に対する意欲を取り戻す。

 

時間はかかるかもしれないけど、織田信長豊臣秀吉徳川家康といった、

能力値の高い武将と肩を並べていけるその日が来るまで。

 

焦らず騒がず一歩ずつ確実に、やっていけたらいいなーと思いました。